2020年7月13日月曜日

お蚕さまの品種(3)又昔

 日本蚕品種実用系譜によれば、又昔は福島県伊達の蚕種家伊藤彦治郎が元文寛保の頃(1740年頃)育成した小巣の品種で始め「マタムカシ」、「又むかし」と称し明治以後「又昔」と記されるようになった。
 ※外山亀太郎博士は、又昔は伊達地方に往古より飼育されたいた普通の赤塾系のものから”繭は長楕円形で中央の縊れ甚だ少なく両端少しく突出した観がある小巣系”を選出したものと推定している。
 又昔は育成された元文寛保の頃(1740年頃)から、特に明和前後(1770年頃)から世に知られ、製糸原料に好適するものとして広く養蚕地方に普及し、文化文政の頃(1820年頃)にはその需要は他品種に遙かにまさるようになった。明治時代に入ってからは、青白流行期(明治15年頃まで)、赤塾流行期(明治20年頃全盛)には又昔の実際の需要は少なかったが、明治20年頃から小巣白繭種の流行時代となってからは、小石丸とともに各地に広まるようになった。小巣白繭流行の初期には小石丸が全盛を極めたが、小石丸が「縊目の深い繭は解じょ不良で節が多い」との非難を受けたため、小石丸は明治32年頃から急に需要が減退するようになった。又昔はこの頃から需要が一層多くなり大正初期に至るまで各方面に愛用された。

 つい最近、又昔の繭、生糸生産が群馬で行われた。
前橋の人形製作工房から、「昔の人形の御衣装を復元したいので、又昔の生糸を作ってもらえないか」との依頼により、平成15年関係者連携して又昔の飼育、生糸生産に取り組んだ。飼育方法は稚蚕も壮蚕も桑育、上蔟は一頭拾い、蔟は万年蔟を使用した。できた繭は俵型、繭重は1.5g前後だった。その繭を上州座繰り器及び一緒の検定器で繰糸を行った。生産された生糸の評価は「生糸は銀色に輝き、染め上がり良く、生地は柔らかくコシがある」とのこと。誠実に、精巧に、そして美しく作り上げる日本のものづくりの原点を体験することができた。

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